伝統工芸品に指定されている久留米絣は、福岡県久留米市周辺・旧久留米藩地域で製造されている木綿絣で、日本の三大絣の一つです。紺色と白色が織りなす、繊細で美しい柄が特徴で、三大絣の中でも群を抜く美しさだと言われています。小柄・中柄・大柄・絵がすりまでさまざまな種類がある模様には、独特の素朴さと温かさがあります。
およそ30にも及ぶ製造工程には、脈々と受け継がれてきた熟練の技が詰まっています。着れば着るほど、洗えば洗うほど、心地良さと風合いが増し、紺色と白色とのコントラストがより一層美しくなります。時とともに色合いの変化が楽しめるのも、久留米絣が持つ独特の魅力のひとつです。デザインにも深みがあり飽きがこないので、長く愛着を持ってお召しになれます。
久留米絣の誕生は、江戸時代後期の1800年頃、当時12~13歳だった井上伝(1788~1869年)という少女の創案がきっかけだったと言われています。色褪せた古着の白い斑点模様に魅了された伝は、布を解いてその模様の秘密を探りました。伝は、糸を括って藍で染め、織り上げて模様を生み出すことに成功。伝の生家の近くには、東芝の創業者で「からくり儀右衛門」と呼ばれていた発明家の田中久重(1799~1881年)が暮らしており、伝と共に多彩な模様を表現する技法を考案しました。さらに、現在の福岡県久留米市に藩庁を置いた久留米藩は、久留米絣を産業として推進。さまざまな工夫と改良がなされ、他に類を見ない特徴的な技法を使った木綿絣として発展しました。
久留米を中心に、久留米絣は農家の副業として盛んに作られ、明治期以降は庶民の衣服として全国で愛用されるまでに普及しました。1957年には、歴史的・文化的・芸術的価値が高いものとして国の重要無形文化財にも指定されました。
久留米絣は200年以上もの間、日本を代表する織物として人びとに親しまれてきたのです。
山村織物は私たちで2代目となります。福岡県八女郡広川町で代々続く久留米絣の織元の次男であった先代・山村栄夫が、1979年に久留米の地で独立したことをきっかけに山村織物を創業し、地元の皆様に支えられながら発展してまいりました。
創業当初は反物の扱いが主でしたが、歴史の変遷とともに取り扱う商品も変化してきました。小物で最初に取り扱ったのは、テーブルセンター。その後、袋物などさまざまな商品を展開するようになり、東北地方の温泉街のお土産物屋さんまで回って卸していました。
洋服を取り扱うようになったのは20年ほど前で、エプロンを販売したことが始まりでした。当初は仕入れた洋服をそのまま卸していたのですが、だんだんオリジナルデザインのものを創作するようになったのです。よりよい「物作り」を目指して、長い間洋裁学校に通い、技術を磨きました。山村織物の久留米絣の良さを皆さんに知っていただきたいという思いから、ファッションショーなども開催しています。
お客様から、「久留米絣を着ていると、よく声を掛けられる」という嬉しいお声を多く頂きます。久留米絣には、人を惹きつける力があるのです。一度手に取っていただいたお客様から「もう一枚ほしい」と言っていただき、リピートしていただくことも多いです。
私たちは「Made in Japan」の誇りを持って久留米絣の商品をご提案しております。久留米絣は老若男女、どんな方でも長く着ていただけるだけでなく、最近では海外の方からも、久留米絣の美しさに魅了されたというお話をよく耳にします。この久留米絣の持つ美しさは、世界共通のものなのです。
今後も久留米絣の伝統を継承しつつ、その芸術性をさらに高めていきたいと思っています。まずは「久留米絣」を知っていただくため、多くの方の目に触れる機会を増やしていくこと。次世代に久留米絣を継承するために、その入り口となるお手伝いをしたいと思っています。